We are (not) the world

2016

1ch-video(6:27)

 

排除するじぶんに気付いたとき、そこに匿名の他者を見た。

《We are (not)the world》は排除するわたし(若しくはわたしたち)の視線であり、

包摂しようとするわたし(若しくはわたしたち)の記録である。

カメラを担いで歩いていた時に「あまり取材しちゃだめだよ」とすれ違いざまに呟いたその人の顔をおぼえていない。


非能動的先延ばしの選択(自分の未来の選択を予測して殺す)

2016

2ch-video(33:23)

白、黒のどちらの味方もするというルールのもと、ひとりでオセロをする。

三手程度が仮定した未来として脳内に出現するが、白黒のどちらかに傾倒して未来を調整しないように現在考えうる最良の殺し手を導き選択してゆく。

勝敗は時間が経過すると半ば自動的に決定した。


Aluminium body

2016

 performance

観客を観察し点数をつけてアルミ製の筐体から差し出すパフォーマンス

小山友也さんとの二人展<PARTY>にて。http://yuyakoyama.tumblr.com



#goodphotoonwebnews

2016-

Performance

ウェブニュースの写真を蒐集し公開する


Recite my diary

2015

performance

自身の日記を思い出しておよそ3ヶ月分の内容を喋る。



女の名前

2015

performance

多田佳那子さん早川真奈さんによる二人展「現実にようこそ」にて。

 

「アヤカ」という名前を持つひとが私の知り合いに5人いる。自分も含めると6人である。

アヤカとは12歳くらいのころとても仲が良かった。しかし趣味嗜好が違うということが

14歳くらいの頃にだんだんと明らかになりなんとなく遊ばなくなった。

アヤカは背が高くてギャルっぽく、ヤンキーの彼氏がいた。・・・

 

同じ名前を持った実在する女性たちの話をするパフォーマンス



寝床を掘る

2014

performance

尖った石が敷き詰められた地面を素手と素足で整え寝床を掘るパフォーマンス


ビーズのネックレスがほどけて 

2016

 Participatory performance

ある詩を伝言ゲームの要領で一音ずつ(こ、れ、を、つ、た、え、る等)伝えてゆく参加型パフォーマンス作品。

⑴単音に分けて発話する:言語が音に解体される

⑵他者から聞いた情報をそのまま他者に伝える:身体が単なる外部装置になる

⑶クローズな事柄を共有しているような素振り

   Photo:Hako Hosokawa


My body myth 

2015

Participatory performance

 ①ホクロ(ない場合は傷などそれに準ずるもの)を星座のようにして線でつなぎ、

 それが何に見えるか検討する。

・形そのものを見出す

(例:山であればどこの山か、誰といつ見た山であるか。

ひとであればどんなひとか、どのような状況であるか、など細かく見る)

・若しくは、点と点の位置関係を地図に見立てる

(例:自宅が点Aであるとしたら点B、Cを経由した点Dはどこであるかなど)

②それを相対的にまとめ、名前をつける。

 

取るに足らないエピソードを神話として体に記録するパフォーマンス

 

 

 

 

 

 

Photo: Hako Hosokawa   



返事を待つ

2015

Participatory performance with plant

⑴AはBの様子を伺いBが成長するための要求に従うこと

⑵AはBの記録を日々残すこと


させてくださいのリスト

2015

performance

禁止されていないことを貼り出す


遠景から現地点を望む

2015

installation 

 

小学校は全て南を向いて並んでいる。南とは、無数に並ぶ小学校の窓から正面へ向かう反射光をつないで一つに束ねた先の遠くにある点のようなもののことなので、百万人が南を向いたとしても人の頭や大きな建物によって遮られ見えなくなるようなものではない。また南から小学校の窓を見ると、チラチラと無数に光る星のように見える。関係のないばらばらな位置に散らばる星を平面的に繋いだ線を星座と呼ぶ。・・・ 

 自分の現在位置を観測するための断片的なテキスト、映像、道具によるインスタレーション。



 

「無人島へ持っていくとしたら、何を持っていこう。」

2014

Participatory performance               

無人島について語る時、その脳内ではひとりぼっちの無人島にいる。

友達と暇つぶしの遊びで話していてもそうである。

私たちは冗談交じりに生きることや死ぬことの話をした。

日記より抜粋

2014/7/29 

旅行の帰り、高速道路で渋滞に遭った。前にも後ろにも進めずトイレにも行けず烏龍茶も飲み干していた。その暇を乗り切ろうと「無人島に持っていくとしたら」という話題になる。ナイフかな、と初め私は言ったとおもう。そんな答えじゃつまらんだとか、実用性がどうだとか、それじゃあすぐ死ぬ、いや死なないだとか、そんなふうなことを話した。話が進むうちに本、牛(ミルクの出る)、紙とペン、などいくつか有力候補が出るも、やっぱりナイフかなとおもった。(今現在はバケツがいいかなと考えている。)そして渋滞を抜けサービスエリアでトイレを済ませ飲み物と食べ物を買って車に戻り、また別の暇つぶしをしながら家へ帰った。

 



インスタント・神社

2014

installation

 

                         

狛犬、鳥居、本殿の 4 点セットです。

キャスター付きなので移動でき、大変便利です。 

みなさまのご要望に応じ、どこへでも出張承ります。 

 

転倒、破損した際にはご援助いただきありがとうございました。



インスタント・神輿

2013

performance

一刻も早く担ぐために、急いで作った即席神輿。

空の神輿もどきをみんなで担ぐ

 

 

 

(2016.9.18日記より)

 強さを排した担げる最低限の構造のせいで、何度もインスタント神輿はピットインした。その度に周りにいた人の手が入った。端材の木を持ってきて足してくれたり、飴傘を強化したり、 テープで補強したりした。指示は特にしなかったので、それぞれが思 い思いの神輿を目指していたように思う。神輿というからには正しく 四角く、強くなくては!という気持ちが感じられたが手を入れるたび にどうにも可笑しい感じだった。神輿は振るとすぐに壊れ、直しては 壊れを繰り返し、私たちは何度もあーあと言った。

 

photo:

Moeko,NonokaComuro,CSLAB

 



インスタント・相撲

2014

Participatory performance

 

 

濵田明李(浜乃海)とのユニット「小平わんぱく相撲協会」による作品です。

紐で地面に円を描いてそれを土俵と呼び

「相撲やりませんか」と手当り次第に声をかける。

はじめに声をかけたときには距離のあった人も日を追うごとに少し近づいてきて、

ついに相撲を取ってくれたりするのがおもしろい。

こちらを見る人、見ない人、相撲に誘えば取る人、取らぬ人がいた。

そのようにしてこの弱い円を囲むように環境が整備されていった。



伽藍堂ギャラリー

2015

installation

伽藍とは僧侶が勉強をする場のことである。また、がらんどう、は何も無いこと形容する日本語である。ギャランドゥーとは(主に男性の)ヘソの周りに生える毛を指す造語である。

2014年の10月から12月まで、武蔵野美術大学構内5B号館204及び208アトリエの一角に自立壁を立てそこをギャラリーと称し、週に一度のペースで8人の個展、つまり8回の展示を行った。

展示に際する約束は、会期中に一時間半程度のギャランドゥートーク(ギャラリートークの意)を

行うことだった。204及び208アトリエは油絵学科の学生が制作を行うスペースであり、関係者以外は基本的に入らないのが暗黙のルールである。個々の制作スペースは当ギャラリーで使用されるものと同じ自立壁によって区切られ、パーソナルスペース及び秩序を保っていた。

少し揉めつつも暗黙の秩序を打ち壊し、各々の能動的な学習の場や、有意義なアトリエの使い方のモデルのひとつとして、「伽藍堂ギャラリー」は機能した。

 

1.星野夏来/2.黒田芽衣/3.藤波美世/4.濵田明李 /5.小山唯子

 

6.遠藤明佳里/7.梅本曜子/8.石原康佑/9.うらあやか




はじめてのデモ

2013

performance

 

 

 

匿名の集団「沈黙共有連合」による作品です

心にもない内容のプラカードを制作し持って数人で歩く。

内容はツイッターや友人から募集した。

何か主張があるかのように演説する。

芯があるのだろうか。どこが発信源なのだろう。

そもそもそれは、どこかにあるようなものなのだろうか。